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日本経営倫理学会

役員コラム「経営倫理の窓から」

一企業人の呟き~経営倫理学の実践に向けて~(監事 神谷泰範)

 現在、現役の企業人(監査役)として、経営の現場に立ち会っている。これまでの38年間の会社生活の内、約半分の17年間、ガバナンス、コンプライアンス、内部統制に携わってきた。その間、個人の不正や品質偽装といった事件が発生し、かつての同僚を対象にした調査も経験した。
 不祥事・不正に直面すると、遥か昔、学生時代に学んだ刑法を思い出すことがある。犯罪を起こすのは、本人の資質だけでなく、環境にも原因があり、相互に影響している。資質は生来+教育、環境は仕組みと言い換えてもいいかもしれない。教育の有効性は先月の中谷先生のコラムでも明らかなのだが、それでも、なぜ不祥事・不正は起こるのだろう。
 不祥事・不正を眺めていると、人とは「弱い生き物」だと痛感する。牽制の効かない環境、例えば、上司が全くチェックせずに承認していると、実直だと思っていた人が、それを知って不正や手抜きに手を染めて、お客さまや会社に損害を与える場面を目撃してきた。あるいは、強いプレッシャーにさらされて、会社のルールに反するやり方(犯罪ではないにしても)で、営業成績を嵩上げするという場面にも遭遇した。厳しいノルマや課題を達成・解決し、出世したい、高収入を得たいという思惑が渦巻いていることは否定できない。不適切な業務遂行をしていても、指示した上司に盲従(=思考停止)していれば、問題が表面化するまでは安楽に過ごせる。このように企業の現場では様々な葛藤がある。
 不祥事・不正が明らかになると「性善説」は否定されることが多い。一方で、「性悪説」に立った内部統制システムを構築するればいいとも言い難い。前者は管理不在、後者は人間不信とすれば、現場感覚では、「性弱説」が一番しっくりし、腹に落ちる。内部統制の観点から最も効果的な方法は、管理面では、バレるかもしれないと感じさせることができるか、心理面では、自分事と思わせる(例えば、家族に話せるかと自問自答させる)ことができるかだと思う。迂遠な道に見えるかもしれないが、案外、着実で早い方法だと思っている。
 これからも、より良い経営の在り方を見つけるために、こうした思索を続けながら、経営倫理学を実践で生かす、学問と経営現場を繋ぐ道を自分なりに彷徨っていきたい。

 (東邦液化ガス株式会社常勤監査役)
 2024年5月10日

役員コラム「経営倫理の窓から」

役員コラム「経営倫理の窓から」